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☆管理人:haschiken
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アニメドラえもん9/7
ドラえもん誕生日スペシャル『ドラえもんが生まれ変わる日』
今回はぜひなんらかのレビューを書きたい! と思ったのであらためて全編通してじっくり見てみた。 何度も途中で止めたくなりながら… 僕は今では、アニメでオリジナルストーリーを作ること自体は悪くないと思っているし、必ずしもすべて原作どおりにアニメをやることはないと思っている。 しかし今回のアニメについては、細かいストーリーやおもしろさ云々以前の問題があるように感じる。 まずひとつめは、最近まで(結果的に)世間をにぎわした「ニセ最終回」との関連だ。 今回のアニメでは、 ・ドラえもんの製造段階での欠陥 ・それによるトラブル ・ドラえもんがのび太との想い出の記憶を失いかける といった例の「ニセ最終回」をイヤでも思い起こさせるような展開になっており、珍しくキツめの対応で決着をし、世間でもそれなりに話題になったわずか数か月後にこんなエピソードを放送してしまう意図がわからない。 「原作のイメージを損ねる」という理由をつけて同人作品にストップをかけておいて、オフィシャル版がたいして変わらないものをやってるのはなんとも理解に苦しむし、あの「ニセ最終回」が好きな人たちには「今回のアニメよりあの同人作品のほうがいい!」なんてことを言い出す人が多そうだ。 僕自身は、あの「ニセ最終回」のネット上での蔓延ぶりに辟易していたので、藤子プロ側の対応は嬉しかったのだが、その記憶も新しいうちにこういうことをやられると非常に混乱する。このタイミングでこういうものをやったのは、オフィシャル版が同人版に媚びたようなかたちになっているようにしか僕には感じられなかった。 しかし、これはタイミング的な問題であり、それさえなければ(つまり「ニセ最終回」騒動がなければ)ある程度は「アリ」だったかもしれない。 だが今回のストーリーにはさらに問題がある。 前回の記事でも少し触れたが、このストーリー展開は、『ドラえもん』という作品におけるひとつのタブーを破ってしまってはいないだろうか。 そのタブーとは何か。 しずか、スネ夫、ジャイアンの3人を22世紀へ連れて行き、セワシと対面させ、あまつさえセワシにしずかのことを「おばあちゃん」と呼ばせてしまっていることだ。 原作マンガにおいては、未来世界を見たことがあるのは出木杉ただ1人であったように記憶している。 さらに、作品中では「のび太の過去」、「のび太の未来」が描かれることは多くても、それらはいわゆるレギュラーの3人と共有されることはまず無い。(「のび太の過去・未来」のなかでの登場人物として描かれることはあっても、だ) しずかは将来自分がのび太と結婚するなど小学生の段階では夢にも思っていないはずだし、したがってしず、スネ、ジャイの3人はドラえもんがなぜのび太の家に来たのか詳しくは知らないはずだ。 このことは『ドラえもん』という作品において非常に重要なのではないかと僕は思っている。 つまり、「大長編において大人たちの力を借りない」といったようなものと同じような暗黙のルールだったのではないか、と。 『ドラえもん』ではタイムトラベルネタはありふれたもののように思えるが、実は個人的な「過去」や「未来」の扱いはかなりデリケートなものだったのではないだろうか。 とくに「のび太の未来」というものは、ある意味「のび太のために作られた未来」(ドラえもんとの協力や、のび太自身の努力によって)であって、他のキャラクターを巻き込むべきものでは無いように思うのだ。作品中で描かれる「のび太の未来」というのは結局は「その時点での可能性としての未来」なわけだから、しずかやスネ夫たちには別の「可能性としての未来」が存在する可能性があるんじゃないか。 相変わらずの言葉足らずで申し訳ないのだが、要するに、「自分や、身の回りの人々の将来を知っているのはのび太だけ」という状況は作品においてとても重要で、安易に破ってしまうべきものではないと思う、ということ。 今回のアニメでは、のび太がはじめにドラえもんの出生を語るシーン、セワシのことをぼかした説明をしていて、そのときはひと安心と同時にうまくやったな、と関心したのだが、その次の展開で全く無意味になってしまった。 セワシが何者であるかをぼかしてしまったゆえに、しず・スネ・ジャイはどこの誰かよくわからない少年といっしょに「ドラえもんを助け出す」という大冒険をするという不自然な展開になってしまっている。(さらにはしずかは「おばあちゃん」と呼ばれてしまう) そのあたりを何もなかったかのように流してしまうのはちょっと… さらに突っ込んで個人的な意見を言えば、もう『ドラえもん』において「未来」を描くことと「ロボットとしてのドラえもん」を描くことはやらないほうがいいんじゃないか、と思う。 「未来」はさっきから言っているように、実は原作において手がかりとなる描写が極端に少ないうえに、そのときどきにおいてさまざまな描き方ができてしまうため、描けば描くほど作品世界にブレが生じてしまう。 「ロボットとしてのドラえもん」については、確かにドラえもんは「ロボット」なわけだけれど、それは単に「設定上そうなっている」だけのこと。 そもそも日本人のほとんどが、「ドラえもん」というキャラクターを、メカニックな意味での「ロボット」としては認識していないんじゃないだろうか。ドラえもんはQ太郎(オバケ)やデンカ(宇宙人)、ポコニャン(不思議ないきもの)などと同じように「少し不思議な存在」でじゅうぶんなはずだ。 そこへ無理やり「ロボットであること」をことさら強調して「改造」だの「ロボットと人間との社会的な差異(今回で言えば、「所有物」や「製造物」として見られる視点)」を取り入れたストーリーをつくるのも、これまた本来の作品世界とのズレが生じると思うのだ。 (こういうテーマは『鉄腕アトム』に任せておけばいい。) 以上の観点から、今回のアニメは僕にとっては「おもしろいおもしろくない」以前に『ドラえもん』としての破綻を感じてしまう、ショッキングなものだったと言わざるをえない。 ストーリー自体はそれほどつまらないものではなかったようにも思うのだが… 以下、細かいところで感じたことを拾ってのひとこと感想; ・パワえもん う~ん… クロえもんとかシロえもんとかも出てきそうだなぁ… ドラえもんズを使わないのはある意味当たり前なので、作り出されたキャラ、ということなのだろうけど、結局どうなのよ?? たとえば彼を出さずとも、キッド(たしかT.P.隊員だったので今回の話にも合う)を含めてあと2人ぐらいのドラえもんズを使っても問題ないんじゃない? っていうストーリーだったのでねぇ。 ただ、オチこぼれ集団のドラえもんズではなくて、バリバリのエリートキャラを作った、というのは効果的と言えるかも。 ・Fワールド ドラえもんとパワえもんとの決闘シーンで、ドラえもんのポケットから出た道具が、わけわからんのばっかりだったので、「あぁ、こういうとこでも原作離れか…」という気持ちに。しかし後からゴンスケのバーテンダーが出てきたり、Pマンそっくりのロボットが出てきたりとサービスもあり。 ・ドラえもんの型番 MS903、ってwikipediaにも載ってたけど、今回の新たな設定だよね?? しかしロボットで「MS」といわれるとやっぱり思い浮かぶのは「モビルスーツ」ではなかろうか。「MatsuShiba」の頭文字ってことらしいが。(なんか携帯電話みたいw) ・クラス会の様子 黄色いドラえもんだらけ。 脇役とはいえ同じのがうようよいるのはなんか変な感じ。 ノラミャーコだけが体型、色ともに全然違うのが不思議なので、ここは身体の色ぐらいもっとバリエーション持たせてもよかったかも。 ・のび太が語るドラえもん誕生エピソード おおむね「2112」を踏襲。F先生最後の公認設定なので当たり前か。 しかしネジが抜けた原因にドルマンスタインが描かれなかったのは… ま、タイミング的に近すぎたり、いろいろだろうね。僕も描かないほうに賛成。 前に書いたように、セワシのことを「ドラえもんをほしがる人」とぼかしていたのは(この時点では)評価高い。 ・ドラえもんが誘拐されてからのセワシ あまりにも消極的。(ひいひい)おばあちゃんにも怒られる。 「2112」を見た世代としてはあまりに不自然だ。あの映画ではセワシとドラえもんのあいだには、のび太とよりも長い期間をいっしょに過ごした想い出があり、深い絆があることが描かれているのだから、誘拐されても取り乱しさえしないセワシはやはり違和感がある。ただ、原作だけを見ればセワシとドラえもんがどういう関係だったのかはけっこう謎なのも確か。 実はドラえもんのことを「道具」として見ているのでは? という解釈も可能かな、とは思うが、今回のアニメはそういう考証なんてせずに、単に「ひたむきなのび太と対比するためのキャラ」としてしか使われていないな。 セワシのことが全然描けてない、今回。 ・捜索願にはのび太のサインが必要 ??? なんで?? ドラえもんの持ち主はあくまでセワシなんじゃないの? とくに必要なシーンとも思えないし、どういう意図があったのか。 ・真っ先にゲーセンへ向かうジャイ&スネ おい、おまえら何しに来たんだよ。 というか、この描き方はジャイ&スネの2人に対してあまりにもかわいそうじゃないか? ・ノラミャーコのいるキャッツショー なんか小屋の外観が… あまり上品なショーをやってるようには思えなかったぞ。裏口の雰囲気とか。 イメージとしては20世紀初頭のヨーロッパの場末にありそうな踊り子小屋みたいな感じがした。 ノラミャーコさんの活躍の仕方はちょうど良かったと思う。 ・ドラミ せっかくだから1万馬力設定を活かしてもっと暴れてほしかった。それこそアトムみたいにやってくれてもよかったのに、と個人的;には思う。 ・クライマックス ここもよくわからない。 最後、のび太は引き下がったが、あれで納得したということ? 同じくドラえもんの心中はどうだったの?? できそこないの自分のせいでのび太がダメになる、と「自信ぐらつ機」状態だったのか、単にのび太を安心させるためだったのか??? 工場長はそれを見て改心???? え、結局どこに心を動かされたの????? なんかすべてちぐはぐな感じ。 もういちどまとめた意見を言うと、ストーリーの出来自体なら、そこそこにおもしろいうものにはなっていたとは思う。 同人誌や、あるいはむかしの併映作品(ドラミ&ドラえもんズ)などでサイドストーリー的に扱うのであれば悪くないかもしれない。 しかし、レギュラーアニメ本編として放送することには僕は抵抗を感じずにはいられない。今回はそういうものだった。 あ、あとエンディングもいろいろあったね。 ・えかきうた いきなりの復活! アニメ本編を見終わって、いろいろと感じることが心中渦巻いていたときにふいに懐かしいイントロが聞こえビックリ。 すんげえ唐突。ま、いいと思うけど。 ・『緑の巨人伝』声優公募 ま~タレントよりはマシかな。でもキー坊とかの重要キャラはやめてね。「同級生1」とかそのレベルのキャラにとどめていただきたい。逆にその程度のキャラに公募した子どもたちの声を使うのはとてもいい試みだと思う。 ・次回予告 かぐやちゃん登場~!! しかもなんかえらく大人っぽくなっちゃってないかい!? ちょっと楽しみだけど、なんかストーリーもかなり変わっちゃってるようにも見える。 うむむ…
by haschiken
| 2007-09-10 01:41
| アニメドラえもん
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